大人も知っているようで知らない七夕。
七夕の由来や、七夕の伝説について紹介します。
子供に説明するための七夕【Q&A】
1.七夕ってなに?
「ねえ、七夕って何?」
「織姫と彦星が1年に1度、出会う日のことだよ。」
「おりひめ?ひこぼし?それってだれ?」
「大昔の人が作ったお話に出てくるお姫様と王子様の名前だよ。夫婦なんだけど、1年に1度しか会えないの。」
「なんで?」
「織姫は、服を作るのが上手だったんだけど、結婚したら彦星と遊ぶばかりで服を作ってくれなくなったんだよ。それで織姫のパパが怒って『7月7日にしかあわせない!』ってことにしたんだ。」
「いやなパパだね」
2.どうして願い事をするの?
「幼稚園でねがいごとを書いたよ。なんで?」
「織姫の『彦星に会いたい!』という願いがかなう日だからだよ。同じように何かを願えば叶うかもしれないと思って、ずーっと昔から7月7日に願い事をするようになったんだ。」
「本当に願いはかなうの?」
「織姫と彦星が7月7日に出会うためには、毎日、服を作らないといけないんだ。そうじゃないとパパが許してくれないの。だから、その願いをかなえるために毎日、頑張らないといけないんだよ。で、どんな願い事をしたの?」
「カレー食べたい!」
大人向け七夕の基礎講座
1.七夕は節句の1つである
現代人にとって「節句」というと、女の子の節句である「桃の節句」と男の子の節句である「端午の節句」を思い浮かべますが、七夕もこれらと同じ「節句」のひとつです。
節句とは紀元前の中国に始まった宮中行事で、季節の節目に旬の食材を食べるなどして穢れを払い、健康や国の安定を願うものです。
3月3日、5月5日、7月7日など奇数が並ぶ日は、穢れを払う特に重要な節句とされ、日本にも伝わりました。
江戸時代になると幕府が「五節句」を定めて行事を催行し祝日としたことで庶民にも親しまれるようになりました。
五節句とは、1月7日(人日の節句)、3月3日(上巳の節句)、5月5日(端午の節句)、7月7日(七夕の節句)、9月9日(重陽の節句)を指します。
なお、現在の七夕は7月7日だけでなく、8月に行われる地方がありますが、これは江戸時代までの旧暦7月7日が今の暦では8月になるためです。
仙台七夕祭りなど古くから行われているお祭りでは、旧暦に近い8月7日か旧暦の7月7日にお祝いすることが多いですが、学校行事などでは8月は夏休みに入るため7月に七夕を祝うことが一般的です。
2.七夕に願い事をするのは何故か?
七夕に願い事をする習慣は、「織姫と彦星」でおなじみの七夕伝説と関わりがあります。
改めて七夕伝説を確認してみましょう。
織姫(織女星・ベガ)は天帝(天の神様)の娘です。
機織り(はたおり)が得意で、天衣(神様の服)を作る女性です。
だから「織姫」という名がついています。
一方、彦星(アルタイル)は、説話の中では「牽牛郎」と呼ばれ、牛を飼って耕作をする真面目な男性です。
しかし、織姫と彦星の結婚が天帝によって許されると、2人は機織りも農耕も怠けてやらなくなってしまいました。
そのため新しい服は作られず、田畑も荒れ、皆が困ってしまいました。
そこで天帝が、2人を引き離してしまったのです。
しかし、2人とも以前のように機織りや耕作に励むことはありませんでした。
織姫は泣き続けるだけだったので、かわいそうに思った天帝が、毎日、機織りと耕作に励むことを条件に年に一度7月7日にだけ会うことを許したのです。
七夕に願い事をする習慣は、この伝説に基づき「毎日、織姫が機織りをしますように。その結果、2人が年に1度出会えますように」と願ったことがはじまります。
転じて、機織りなどの「技芸」の向上を願って7色の糸を針に通す「乞巧奠(きっこうてん)」と呼ばれる風習になったのです。
3.笹と短冊の由来とは?
「技芸」以外の様々な願い事を短冊に書いて願うという習慣は、七夕が日本に伝わり、庶民にも広まった江戸時代以降に定着したと考えられています。
様々な色の短冊は、すなわち乞巧奠の色鮮やかな「糸」が変化したものです。
一方で笹は、神社の「茅の輪(ちのわ)」を支える竹が起源となっていると考えられています。
神社では6月30日の大祓(おおはらえ)に、大きな「茅の輪」をくぐって穢れを払い、身を清める「茅の輪のくぐり」という慣習があり、この「茅の輪」は竹によって支えています。
竹は生命力が強く、正月飾りとしても使われる縁起物であるため、七夕の直前に行われる大祓の祭りを模して、笹が使われるようになったと考えられています。